【タケオ州は歴史の宝庫】プノンチソーとカンボジア旧日本軍飛行場跡

日曜日、早朝からタケオ州に行ってきました。

今週は、シェムリアップから400㎞の道を帰ってきたばかり。

タケオ州までは、わずか80㎞ほどですから、ちょっと行ってくるくらいの感覚です。

以前に訪問した時の記事はこちら。

前回は、徒歩で階段を登ったのですが、その後、頂上まで山道が開通して、車やバイクで直接登れるようになりました。

このゲートをくぐります。

ごつごつとした岩石がある道ですから、多少運転に慣れていないと厳しいかもしれません。

まず、山頂のお堂でお祈りをしました。

カンボジアでは、あまり見られない涅槃像があります。

こんな階段を下っていくと・・・。

古代遺跡が見えてきます。

プノンチソーの修復作業の様子が掲示されています。

扶南の時代。1世紀~7世紀の時代にあったクメール人の国歌でした。

この扶南を滅ぼしたのが、後のクメール王国です。

岩石に穴が開いているのが見えますか。

これは、運搬に用いるために開けられたものです。

中央のお堂。

今日は仏日だったことから、多くの礼拝客が来ていました。

この苔むした感がいいのです。

そう言えば、私が若いころ、良かれと思って、学校の校庭にある苔むした二宮金次郎の像を高圧洗浄機で洗って、校長に報告したところ、こっぴどく怒られたのを思い出しました。(笑)

性をモチーフとした井戸。

当時の職人さんが精魂込めて彫り上げたもの。

素晴らしいとしか言いようがありません。

この下界を見下ろす感覚。

南方面は、下から直接ここまで登ってこられるようになっています。

こちらが南正面入り口になります。

絶景です。

そう言えば、今日はなぜか入場料の徴収がありませんでした。仏日だったからでしょうか。

カンボジアに来る人は、遺跡はシェムリアップだと思っていますが、実はいろんなところにあります。

特に、コンポントム州のサンボープレイクックは、アンコール遺跡よりも古く保存状態も良いのでお勧めです。

遺跡前にあるお寺の広場のようなところです。

仏教の教えですね。

お釈迦様の生涯を絵物語にしたもの。

この花を見ると、もうすぐ乾季に入ることがわかります。

ポートレートで撮影。

さて、プノンチソーを降りた後、タケオ州にある旧日本軍飛行場跡を探しました。

ひたすら悪路を走って、1時間半ほどたったでしょうか。

ありました。

1942年~1945年まで、この地に日本軍が駐屯していたことは、日本の人々はほとんど知らない事実かもしれません。

当時、ここにに現地の労働力を用いて、飛行場を作った日本軍。

敗戦後、すぐにフランス軍が戻ってきて、日本軍関係者は捕らえられて別の場所に連行されたのだとか。

日本の軍人さんと結婚したカンボジア女性が、現在90歳以上にもなっていますが、ご健在で、夫の帰りを未だに待っているという悲しいお話も聞いております。

ちなみに、この地には1993年に日本の自衛隊がUNTACの一員として駐屯していたことも、付け加えておきます。

プノンペン~カンポットをつなぐ3号線は、日本の自衛隊がこの時に整備した道路です。

 

もう一つ。

さらに南に行くと、プノン・ダーと呼ばれる古代2,500年も昔の遺跡がこちらにあります。ぜひお読みください。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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