カンボジアの井戸掘りボランティアによる悲劇
2003年、カンボジアのプレイルセイ村で起こったある悲劇。
村人が原因不明の病気になり、命を落としたのです。
亡くなった方の母親が、井戸の水が原因と訴えましたが、かかりつけの医者は、当初、井戸の水はきれいに決まっていると取り合おうとはしませんでした。
そう。
無理もありません。
これまで、この村では、水がめに貯めた雨水を調理や飲料水に使用していたんですから・・・。
それに比べたら、地下から湧き出る澄みきった冷たい水に問題があるとは、思えなかったのでしょう。
村人の死亡原因が特定されたのは、それから4年後でした。
その原因は、
慢性ヒ素中毒
というものでした。
東アジアの国々の地下には、ヒマラヤ山脈の火山活動によって地殻に蓄積された鉱物が多数存在しています。
その中でも、毒性の強いのがヒ素なんです。
黄河流域、レッドリバー流域、メコン川流域、エーヤワディー川流域、ガンジス川流域、インダス川流域などで、地下水の中にヒ素が含有することが報告されています。
カンボジアのプレイルセイ村のケースは、WHOの規準の280倍ものヒ素が検出されたと報告されています。
この事件は、日本の学生ボランティアが井戸を掘りっぱなしで帰国したことから、大きな社会問題として取り上げられました。
NHKのクローズアップ現代でも、「善意の井戸で悲劇が起きた」というタイトルで、全国的に放送され、当時の日本国民も大きな衝撃を受けました。
その後、井戸を掘った後は、きちんと専門家による水質検査を行うことを国が義務付け、安易に参加できる「お試しボランティア」は収束していきましたが、我々にも支援のあり方について、大きな課題を投げかけました。
ここで、皆さんに問いかけます。
相手のためにならない支援があるとしたら、どのようなものを思い浮かべますか。
10秒間、お考え下さい。
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チーン
では、いくつかの事例を紹介してみます。
①鍵盤ハーモニカ
楽器を届ける支援は、指導する教師がいてこそ役に立ちます。カンボジアの公立学校では、音楽教育がありませんし、指導できる教師もほとんどいません。
私は、訪問した学校で目にした、職員室の隅にあった埃まみれの鍵盤ハーモニカの山を見ては、そう思いました。
もしも寄贈するのなら、指導することを前提とした支援の形を作るべきです。
下に紹介する例は、リコーダー300本の支援でしたが、プロの演奏家さんたちが、1ヶ月もカンボジアに滞在して、熱心に指導を続けて、成果を残したものです。
また、国際的なフルート奏者の古川はるなさんをスバイリエン州の小学校にリコーダー指導のためにご案内するプランは、コロナのパンデミックにより流れてしまいました。再び、こちらにお来しになられるのを心待ちにしています。
②中古衣料
これは、道理から考えると、よく理解できます。
そもそも、日本の衣料品店で売られている服は、ほとんどがアジア諸国をはじめ諸外国で生産されています。
カンボジアのコンポンスプー州には、その縫製工場がたくさんあります。
下の記事をご覧いただければお分かりいただけます。
日本でTシャツを一枚買うのに2,000円ほどのお金を払うと思いますが、こちらでは、2$で購入できます。
そして、服に関して言えば、過剰生産とも言えるほど、町中あちこちで売られていて、明らかに供給過多の状態にあります。
こちらで生産されたものが、日本にわたり、そしてまたこちらに戻ってきて古着として配られたり、売られたりする。
これは、おかしな話だと思いませんか。
しかも、この中古衣料が無料で配られれば、現地の衣料品を営む人々は、ビジネスを阻害されることになります。
ためにならないどころか、井戸の件と同じで、支援する国の人々を窮地に追いやることにもなりかねません。
③学校建設
上は、シェムリアップ州にある廃校になって放置されていた学校です。聞き込みをしたところ、公立学校ですが、過疎地にあるために教師が派遣されずに2019年から無人化しているそうです。
ここに通っていた生徒たちは、仕方なく隣の村の学校の教室に入れてもらって、授業を受けています。
学校建設は、日本ではカンボジア支援の代名詞ともなっているもので、とりわけ某TV番組である有名タレントが、自分たちの描いた絵をオークションにかけて、その売上金で学校を建設するというプロジェクトが人気に拍車をかけました。
学校建設そのものは、JHPさんのように事前にきっちり調査をして、完成まで、そしてその後の行く末まできちんと見届けていらっしゃる団体もある傍ら、個人でお金を出すだけの「ぱなし支援」になっている例も少なくはありません。
学校建設自体は、内戦が続いて、教育が崩壊したカンボジアにとっては、必要不可欠のもので、非常に価値の高いものです。
しかし、学校を建てた後の教育こそがカンボジアの子どもたちにとっては、最重要事項です。
せっかく立てた善意の学校が、朽ち果てていく姿は見るに忍びません。
これらのことから、今後の支援は、善意が空振りしたり、相手の仇とならないよう、配慮すべきだと考えます。
私たちが現在取り組んでいるジョイントプロジェクトでは、
決して一方的にものを与える支援にせず、カンボジアと日本とが共同で取り組む支援の形を作っています。
例えば、トイレを建設するプロジェクト。
まず、本当に必要かどうかを判断します。
次に、教育局から支援があるのかどうかを確認します。
そして、学校側からいくら供出できるのか、地域の寄付も募っていただくようにお願いします。
最終的に、足りないお金を日本側で負担します。
こういう流れで、建設を進めて行きます。
こうして、出来上がったトイレは、日本の力を借りたとしても、自分たちで作ったという誇りを保つことができます。
そのトイレを使うのも自分たち、保守管理をするのも自分たちなんです。
完成後も、保健指導を行い、学校側に衛生教育の向上を促します。
これが、我々の目指す自立を促す支援のひとつの形です。
これが、2030年に向けての支援のあり方だと考えています。
そして、支援活動は、自立ができた時をきちんと見定め、いつかは収束していくものと思っています。
その時は、カンボジア国民が他の国を支援する側に回っているはずです。
*本記事で取り上げている写真は、実際の事件のものではありません。
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