孤児院への支援を打ち切った背景にあるもの

活動レポート

皆様にご報告です。

この度、孤児院への支援を打ち切る運びとなりました。

その理由は、子どもたちの健全な成長を願ったからに他なりません。

以下に、その背景には何があったのかを克明にお伝えしますのでご一読ください。

カンボジアにおける孤児院支援の見直しや、施設への直接的な援助から距離を置く動きの背景には、子どもたちの権利を守り、本来あるべき健やかな成長を支えるための深刻な構造的課題が存在します。

我々が2024年から支援に関わってきました孤児院でも、潜在的にいくつかの問題がありました。

この問題は、子どもたちの人権にも関わるセンシティブな事項にも触れますので、カンボジアの人々や社会の尊厳に配慮しつつ、国際社会や支援団体が直面している4つの主要な背景について解説します。

孤児院ビジネスの台頭と家族の分断

かつての内戦や社会の混乱期には、身寄りのない子どもたちを保護する施設が必要不可欠でした。

しかし社会が安定へと向かう中で、施設の運営自体が目的化し、支援金や観光収入を得るための「ビジネス」として機能してしまう歪んだ構造が生まれました。

この孤児院でも、寄付者が訪問するたびに、女の子たちは化粧を施し、アプサラの衣装をまとい、踊ることを強いられました。その中には、5歳の女の子もいました。

また、国際機関の調査では、施設にいる子どもの多くに存命の親や親族がいることが分かっています。

地域の貧困に苦む親に対して「教育や食事を提供する」と働きかけ、子どもを実の家族から引き離して施設へと集める事例が相次ぎました。

良意から寄せられる寄付金が、皮肉にも「家族の分断」を促す資金源になってしまうという矛盾が、支援の見直しを迫る大きな要因となっています。

このことは、お盆や正月の時期になると明白になります。この孤児院でも、親がいる子どもは、その時期に里帰りをしていました。院内に残っている少数の子どもたちだけが、本当に帰る場所のない子どもたちでした。

終わりが見えない「底なしの支援」の構造

これまでの支援の多くは、施設という箱を維持し、そこにいる子どもたちに食糧や物資を補給し続ける「対症療法」にとどまっていました。

しかし、根本的な課題である「地域の貧困」や「公教育・福祉制度の未整備」が解決されない限り、どれほど多額の寄付を続けても、施設に依存する子どもの数は減りません。

支援を続ければ続けるほど、地域や国家が自立して子どもを守る仕組み(社会保障や福祉ネットワーク)の構築が後回しになってしまうという、終わりなき依存のループが課題視されています。

そこで、私たちは、最初のプロジェクトで、孤児院の自立を目指す野菜ハウスに取り組んだわけです。

しかし、ビニルハウスやシャワー棟などの建設時に、施工前に必ず業者に見積もりを取るのですが、いざ施工が始まると、孤児院サイドであれもこれもと施工範囲を広げてしまい、どのプロジェクトでも見積額を大幅に上回ってしまいました。

その上乗せ額を請求してくるため、自腹で支払わざるを得なく、またご出資いただいた方々にも多大な迷惑をかける結果となってしまいました。

もちろん孤児院経営には、運営資金がいることは百も承知です。それゆえに、出来る限りの財政的な援助をしてきました。

理事長は、カンボジアは外国から支援をもらっているようでは発展できないと表向きには言っていますが、実際には、外部から寄せられるお金を当てにし、お金を置いていく支援者にはいい顔をするという2枚舌外交を演じていたということになります。

潜在化していた児童虐待のリスク

孤児院内では、子どもたちの安全を担保するためのセーフガード(倫理規定や監視体制)が十分に機能していませんでした。

ボランティアや支援者などの外国人が日常的に施設へ出入りすることは、外部の監視の目が入るため、子どもたちの人権を守るのに役立つものと思っていましたが、実際に外部の目がないところでは、管理者やスタッフが言うことを聞かない子どもを平手でひっぱたいたり、木の棒でむち打つなどの虐待が行われていました。

私も日常的に出入りしていたため、スタッフの一人として見られるようになっていたためか、そのうち私が見ている前でもそういった行いを何度か目にするようになりました。それは、とても心が痛む光景でした。

施設内での適切なケアの欠如、子どもたちのプライバシーや心身の健全な発育が脅かされる事態が散見されました。

隔離された施設という環境そのものにこそ、大きなリスクが存在します。

生活環境の劣悪さと発達への影響

カンボジアの一部の施設では、寄付者の同情を誘うために、あえて衛生状態や居住環境を劣悪なまま放置するケースが見られました。

つまり、きれいな整った環境で暮らしている子どもたちは、憐れみを産み出さないため、あえて子どもたちを見ずぼらしいままにしておくといったことが起こります。

それは、子どもたちの生活環境が劣悪のままで放置され、人権にも関わってくる問題に発展するのです。

実際に、この孤児院内でも、洗濯をしない真っ黒なダニだらけの布団で寝る、すり傷を化膿したまま放置する、しらみの飛ぶ毛髪などの問題がありました。

また、施設という集団生活の場では、一人ひとりの子どもに対する愛情や個別のケアが不足しがちになります。

近年の児童心理学や福祉の国際基準において、幼少期に施設で育つことは、子どもの情緒的・認知的な発達に重大な悪影響を及ぼすことが科学的に証明されています。

いくら物資を与えても、家庭的な温もりのない環境は子どもの健やかな成長を阻害するため、環境の抜本的な改善が求められています。

それゆえに、我々は、日本からのボランティアを何人も派遣し、子どもたちに必要な愛情をたくさん与えてきたのです。

ボランティアの皆さんにとっても、過酷な生活環境でした。Wifi環境を整えたり、洗濯機の設置、シャワー棟の建設など、改善はしてみたものの、それでもボランティア修了時には、虫刺されだらけであったり、肺炎になったりして帰国したケースもありました。

カンボジアの尊厳と「家庭養護」への転換

これらの問題に対して、私は、子どもの人権を鑑みて、真っ向から正当な意見を主張してきました。

支援金に対する温度差、支援したものの維持管理、虐待を受けない子どもたちの人権擁護、環境衛生の向上・・・、しかし、どれも当事者にとっては受け入れがたいことでした。

それもそのはず、ここはカンボジアです。

ここは俺の国だ、よそ者に言われたくない・・・、最後は必ず、ここにたどり着きます。

経営方針を巡り、こちらの考えを押し付けるというよりも、外部からの一意見として、上記のことをお伝えはしました。

その結果、支援を続けることは不可能との結論に達したわけです。

この背景には、カンボジアという国や人々そのものの問題というよりも、急速な経済成長の過渡期において、外部からの支援金がもたらした構造的な歪みが存在するとも言えます。

カンボジア政府は、こうした実態を重く受け止め、現在は施設依存からの脱却を目指す政策を進めています。

現在の国際支援の潮流は、カンボジア社会への敬意をベースに、「孤児院を支える」国から「地域社会の雇用を創出し、実の親のもとで子どもを育てる(家庭養護への移行)」という、カンボジアの自立と家族の尊厳を守る包括的なアプローチへとシフトしています。

つまりは、孤児院は、国際支援と同様、無くなって収束していくことこそが目的だともいえるのです。

もとより、この当団体と孤児院との問題は、子どもたちの人権を守ろうとしたからこそ生まれた問題です。

子どもには、直接は関係のないことです。

子どもたちがかわいそうだと思うかもしれません。

でも、私は、人は生まれた環境を受け入れて生きていくものだと思っています。

なぜなら、彼らは自分のことをかわいそうとは思っていないからです。

今、ここで言えることは、ただただ子どもたちが自立し、心豊かな人生を送ることを願うばかりです。

私たちの貧困者への支援は、その対象者がいる限り続いていきます。

それも、現地の方々の良き理解者がいてこそ続けることができるものと思っています。

最後に、子どもたちのために、これまで多大なご支援をいただきました方々に、心からお礼を申し上げますとともに、その真心は、私が責任をもって子どもたちに届けさせていただいたことを付け加えておきます。

子どもたちは、よくわかっています。

私たちが、いかに愛情を与え続けてきたのかということを・・・。

そして、遠い日本の皆様に、見守られてきて、自分たちは決して見捨てられてはいないということを・・・。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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