【ショッキングな出来事】悲しさが伴った支援活動
私は、実をいうと、この10日間ほど心がふさぎ込んでおりました。
このことは、記事に挙げるかどうか迷ったのですが、支援活動に絡んで起こった出来事ですので、心の中にあるがまま皆様にもお伝えしようと思います。
こちらの記事でご紹介している女性。
胸に腫瘍ができており、腕から手にかけてパンパンにはれ上がっています。
症状が出始めてから、もう1年も経っているとのこと。
高齢のおばあさんと2人暮らしもこの女性には、治療にかかるお金もありません。
私は、このまま黙って見過ごすわけにもいかず、2024年6月28日の午後、ご本人とご家族の承諾を得たうえで、義理の兄を付き添いにして、治療費を私が負担するという約束で、最新の医療機器を備えたプノンペンのCalmate病院に行ってもらうことにしました。
病院に着くなり、救急の玄関口にいらっしゃった担当医師が、これは重症だと言わんばかりに、急いで担架で救急病棟に運び手配をしてくれました。
その後、直ちに各種検査・救急治療に入りました。
ここでは、自分は、動かせない体を動かしてあげたりするくらいの介助をするくらいで、専門家に任せるほかはありません。
そして、翌日、医師団の判断により、ICU(intensive care unit)で集中治療を受けることに・・・・。
生命に危険がある場合に入る病棟ですから、祈るような気持ちです。
それから、3日後、12:30過ぎでした。
突然に、亡くなったという知らせが・・・・・。
ご遺体の搬送。
お葬式でのご焼香。
心から、ご冥福をお祈りしました。
生死は、人がコントロールできることではない。
医療でさえ救えない命がある・・・。
人には天命があることもわかってはいます。
でも、自分が関わる支援活動で、人の命がなくなった。
このことは、初めてのことであり、とてもショックなことでした。
私にとって、支援活動とは喜びだったはず。
この活動のどこに喜びがあったんだろうかと・・・・。
しばらく、後悔の念に包まれました。
しかし、それを救ってくれたのは、お葬式に出向いたときの村の人々の私への対応でした。
ご家族や村の人々は皆、手の高い位置で合掌をしてくださり、皆様のその表情からは私に敬意をもって接してくださっていることを肌で感じることができたからです。
狭いスラスターチャンの村でのことです。
私が善意で彼女を病院にお連れしたけど、治療の甲斐なく亡くなったことを、多くの村人たちは知っていたのです。
一人残された高齢のおばあさんに、お葬儀代を手渡しして、その場を立ち去るときにも、皆さんは、私を温かいまなざしで見送ってくれました。
そして、最後を共に看取った義理のお兄さんと(自然に)熱き抱擁をして、その場を立ち去ったのでした。
カンボジアでは、慈愛の心を伴った行い対して、人々は高い敬意を払います。
それは、仏教徒ならではの御心からくるものだと思います。
我々、国際支援活動家にとって、改めてそういった心の大切さを教えられたような気がしました。
(追記)
以下、コメントいただきありがとうございました。
「ショッキングな出来事」
拝読しました。
「人間にとつてもっとも悲しむべき事は病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間だと思い込む事だ」
(マザーテレサ)
「死を待つ家」を思い出しました。
松田さんのされた行動は決して無ではありません。
最期のひとときを松田さんに出会い、病院に受診入院させてもらい、大切に扱われながら、徐痛もしてもらい幸せに3日間を過ごされたことと思います。
彼女と彼女の家族は、松田さんに最期に出会えてどれだけ幸せなことだったでしょう、、、と。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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