【論文】タイとカンボジアの国境紛争についての考察

カンボジアの生活

カンボジアとタイの国境紛争は、100年以上にわたる複雑な歴史を持ち、特にプレアビヒア寺院の帰属問題がその中心となってきました。

この紛争は、植民地時代の国境画定に端を発し、近年では武力衝突に発展することもあり、現在も完全に解決されたとは言えない状況です。

紛争の歴史的背景

19世紀後半、フランスがインドシナに進出し、カンボジアを保護国としました。

しかし、当時、カンボジアの一部はシャム(現在のタイ)の支配下にありました。

1867年にはカンボジア中部が、そして1907年にはアンコールワットを含むカンボジア北部がシャムからフランスに割譲され、国境が画定されました。

その1908年にフランスが公刊した測量地図では、プレアビヒア寺院がカンボジア領とされていました。

しかし、タイ側は後にこの地図の正確性に異議を唱え、これが後の紛争の火種となりました。

タイ側には、もともとカンボジアはタイの支配下にあったという歴史認識が存在し、フランスによる領土侵食への不満が残りました。

プレアビヒア寺院を巡る紛争の激化

第二次世界大戦後、タイがプレアビヒア寺院を実効支配していましたが、1953年のカンボジア独立後、カンボジアが国際司法裁判所(ICJ)に寺院の領有権確認を提訴しました。

1962年、ICJはカンボジアの主張を認め、寺院周辺におけるカンボジア側の主権を認めました。

タイ側は不満を示しながらも、この判決に従ってきました。

近年の紛争の再燃と経緯

世界遺産登録と武力衝突 (2008年~2011年)

2008年初頭、カンボジアがプレアビヒア寺院遺跡の世界遺産登録をユネスコに申請し、ユネスコ委員会がカンボジアの世界遺産として登録を決定しました。

これに対し、タイ国内の政治団体や市民団体が激しく反発。同年7月にはタイ軍兵士が国境を越えてカンボジア領に侵入し、両軍が国境地帯に集結しました。

同年10月には、プレアビヒア寺院から数キロ離れた国境地帯で両軍の銃撃戦が発生し、死傷者が出ました。

その後も散発的な武力衝突が続き、2011年2月にも大規模な衝突が発生しました。

2011年7月、ICJは紛争地域に非武装地帯を設定し、両国に即時撤兵を命じました。2012年7月には両軍が紛争地域から撤兵しました。

ICJによる最終判決 (2013年)

2013年11月、カンボジアの提訴を受け、ICJは寺院周辺の4.6km²の未画定であった土地についても、カンボジアに帰属するとの判断を下しました。これにより、懸案の領有権問題は一旦終結したとされています。

現在の状況 (2025年7月時点)

ICJの判決後も、国境紛争は完全に解決されたわけではありません。

2025年5月末には、タイ東北部とカンボジア北部の国境未画定地帯で両国の軍による衝突が発生し、カンボジア兵1名が死亡する事態が報じられました。

そして、2025年7月24日にも両国軍による本格的な攻撃が発生し、死傷者が出たことが報じられています。

両国政府は平和的解決を目指し合同国境委員会(JBC)を開催していますが、国境通過制限や相手国からの輸入制限といった報復措置がとられるなど、緊張が続いています。

このように、カンボジアとタイの国境紛争は、過去の植民地時代の遺産と現代の政治的・経済的要因が複雑に絡み合い、現在も解決への道を探っている状況です。

アセアン諸国の中におけるタイの位置づけ

ASEAN(Association of SouthEast Asian Nations)は、東南アジア諸国連合と訳され、

地域の平和と安定

経済成長の促進

を目的として、1967年に設立されました。

タイは、そのASEANの原加盟国であり、1967年にバンコクでASEAN設立宣言(通称バンコク宣言)が採択された際の5カ国(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)の一つです。

このことから、タイはASEANの創設期からその発展に深く関与してきた、ASEANの設立と初期の基盤構築において中心的な役割を果たした国と言えます。

一方のカンボジアは、内戦終了後の1999年にASEANに加盟した後発国です。

1984年ブルネイ、1995年ベトナム、1997年ラオス・ミャンマー、1999年カンボジアが加盟ですから、最後加盟国なんです。

先発国と最終加盟国、この両国の紛争を、他のアセアン諸国はどのように見るのでしょうか。

「One Southeast Asia」実現に向け、国境を越えた鉄道計画や道路網の建設も計画されています。

とりわけ、2025年のASEAN議長国はマレーシア。

元々は、ヨーロッパが絡む国境策定問題があったとはいえ、他のアセアン諸国も今回の戦闘に傍観はできないはずです。

なぜなら、一国の中で起こるクーデターとは違い、国同士の争いは、周辺諸国に必ず飛び火するからです。

このマレーシアが、仲裁に入り、一時的にせよ和解案が締結されれば、閉鎖されている陸路の国境も再開へと向かう見込み大です。

国内のみの利権と捉えず、両国及び周辺諸国もグローバルな視点で解決に向けた努力をしていく知恵を持っていると信じます。

私見:紛争でとどまるのか、戦争にまで発展するのか

私は、今回の問題は、おそらく部分的紛争にとどまるものと見ています。

理由は、以下の5つにあります。

①陸路国境封鎖や輸入制限・観光客の減少は、両国共に経済的損失が大きいこと。

②カンボジアには中国という後ろ盾があること。

③タイが戦火を拡大することは、他のアセアン諸国が傍観しないだろうという予想。

④カンボジアのフンマネット首相は、リベラル思考の持ち主で、「穏健」「改革志向」であること。

⑤紛争場所であるプレアヴィヒア寺院は、ユネスコの世界遺産であり、文化財保護の観点で大規模な軍事行動がとりにくいこと。

①については、観光収入への依存度の高い両政府が、戦争突入によって、国家財政が激減するであろう方策を選択できないこともあります。

②は、尖閣諸島問題を抱える日本にも同じことが言えまして、アメリカが背後にいるから、隣国が手出しできないのと同様です。

⑤は、「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」(通称:1954年のハーグ条約)は、武力紛争が発生した際に文化財を保護することを目的とした国際条約です。第二次世界大戦中に多くの文化財が破壊されたことを受けて、ユネスコの主導で採択されました。

実際に、2013年にもプレアヴィヒアでは同様のことが起こりました。

しかし、それは、その時だけのことに留まったのは、周囲の状況がそうさせなかったからです。

心配な材料は、タイでは、まだ若い女性のペートンターン・シナワット首相が政治権限を一部はく奪されており、軍部をコントロールできておらず、暴走が懸念されます。

対照的に、カンボジアの国防軍は、現首相のフンマネット氏が長く関わっていた組織ゆえに、国家による統制ができています。40代後半という若さで首相に就任し、欧米での高い教育を受けていることから、これまでのカンボジアの指導者層とは異なる、より現代的で国際的な視点を持っていると見られています。

ただし、カンボジア国内にも、正当性を主張するあまりに、戦闘を肯定する一部の人々もいます。なぜなら、今のカンボジアは、ポルポト時代~内戦時代を経験していない若い世代が、人口の7割を占める国になっているからです。

戦争を知らない子どもたち。

日本でも、昭和の時代にこんな歌が流行りました。

つい先日の2025年7月11日、カンボジアのトゥールスレン博物館、キリングフィールド、M-13収容所がユネスコの世界遺産に認定されました。

この登録は、「カンボジア記憶遺産:抑圧の場から平和と省察の場へ」(Cambodian Memorial Sites: From Centres of Repression to Places of Peace and Reflection) という包括的な名称の下で実現しました 。  

今回の世界遺産登録は、カンボジアが過去の悲劇と向き合い、記憶の継承と和解への国家的なコミットメントを国際社会に強く示すメッセージとなります 。

あの時代の生存者の高齢化が進む中で、記憶を風化させないための緊急性と、若い世代への戦争への警鐘を喚起する効果も期待されます。

世界記憶遺産と言われるのは、そのためです。

決して、あの時代に戻ってはなりません。

戦争が生む悲劇。

それは、決して戦闘を行う兵士だけの問題に収まりません。

国民の生活を崩壊させます。

家族を分断します。

人々の命さえ奪います。

そして、悲しみと憎しみだけが残ります。

そういった記憶を風化させてはならないのです。

もう一つ、付け加えるなら、タイもカンボジアも正式名称は、タイ王国、カンボジア王国です。

王室には、政治的権限はありませんが、平和的外交面でその強みが発揮できます。

日本の皇室も、戦後一貫してそのような外交で国家間をつなぐ役割を果たしてきたことも参考にしてもらいたいところです。

戦争を繰り返さないこと~未来の子どもたちのために

1945年、日本が終戦を迎えた後、我々の祖父母、両親の時代の人々は、貧しい暮らしの中、祖国の復興のために懸命に働き、世界に肩を並べる経済大国にまで発展を遂げました。

そんな中、日本には頑なに守り続けてきたものがあります。

日本国憲法9条の、

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

の文章。

戦争が起こす悲惨さを味わってきた人たちは、決してこれを繰り返してはならないとの思いも持ち続けてきました。

だからこそ、日本が国際社会において「平和国家」としての地位を築いてこられたのだと思います。

マイストーリーになりますが、私の祖父は、旧満州に地区を統括する立場(警正)として当地に駐屯していました。母親は、その旧満州で生まれました。

1945年3月、祖父が、当時子どもだった母を終戦前に日本に帰国させ、宮城県に疎開したことで母は生きながらえました。

ご存じの通り、敗戦後、日本から渡った旧満州の開拓団員の多くが命を落としたからです。

その祖父も、旧ソ連にシベリアに抑留されましたが、1956年恩赦により運よく帰国しています。

親戚には、ガダルカナル島から帰還した元兵士もいました。

私の家族は、今、生きているのが奇跡的なくらいの確率で、戦乱の中を生き延びたのです。

だから、自分の命も今こうして存在している。

私は、生かしていただいているんです。

それだからこそ、湧き上がる平和に対する想い。

もちろん、私は戦後生まれですから、戦争を体験しているわけではありません。

しかし、これらの身内からたくさんの戦争時代の話を聞いて育った自分も、二度と戦争は起こしてはならないと子ども時代から強く思って生きてきました。

ポルポト時代に両親と兄弟姉妹を亡くされたポンナレット久郷さんの講演を聞いて、この平和への想いが同期した2017年。

その後、カンボジアに「国境なき教師団」として来たのも、戦争でこの国が自らの力で立ち直れない状態だったことが理由です。

日本が置かれている状況も同様で、一触即発、部分紛争から戦争につながりかねない危険性をはらみます。

戦争で崩壊した国

また、その時代に戻ることは、未来の子どもたちのために、決して許されないと思うのです。

一つの国のちっぽけな面子や正義への主張が悲劇につながっていく国家間の争いごとである戦争。

だれもが、そうなってほしくないと考えるでしょう。

皆さんは、戦争に対してどう考えますか。

そして、その抑止力のために、どのような行動をとりますか。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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コメント

  1. 西城直人 より:

    国境紛争について、細部までわかるよう記事を掲載してくださりありがとうございます。
    私も興味があり、この件についてネットで調べました。
    19世紀後半、フランスがカンボジアを保護国としてから今に続く問題であることを知り、国境問題は根深いものだということを改めて感じました。
    また、世界遺産ということもあり一度訪れてみたいと思っていたプレアビヒア寺院が、そういった問題の中心地であることを知らず、自分自身の無知さを痛感しました。
    自分が旅行などでこれから関わろうとしている国に対して、もっと歴史や世界情勢を学ぶ必要があると思い直しています。

    カンボジアもタイもどちらも魅力的な国です。
    どちらの国民も、平和で穏やかな環境で生活できることを心から祈っています。
    JECSAの活動に携わる方々も、どうか健康・安全に気を付けてご活動ください。
    日ごろの活動に感謝しています。

  2. TATSUHIRO MATSUDA より:

    毎月のマンスリーサポートをいただきまして、ありがとうございます。❤️カンボジアのプレアヴィヒア寺院に関心をお持ちとのこと、そしてそのことをきっかけに、ご自身で歴史について調べられたとのこと、平和であることへの願いがお強いこともいただいたコメントの内容から伝わって参りました。
    我々は、政治的な部分において通常意見は述べないのですが、この問題に関しては、どうしても政治が絡んできます。
    国家レベルのことですから、1国民がどうこうしようにも手の打ちようがないのが事実なんですが、戦争には決して向かわないと言う一人ひとりの心の灯だけはたやしてはならないと強く思います。
    近いうちに、世界共有遺産であるプレアビヒア寺院を訪れられることを願っております。

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