【プレアヴィヒア寺院を巡る争い】カンボジアとタイの紛争の歴史

カンボジアの歴史

かつてこの地域では、明確な「国境線」ではなく、勢力圏が重なり合う「マンダラ国家」という形態が取られていました。

マンダラ模様というのは、上記のようなデザインからきています。

マンダラとは、ヒンドゥー教の宇宙論から由来し、国家機構や村落機構において、政治・経済・民間儀礼のすべてが国家なしで動いているという概念を言います。

つまりは、この地域には、かつては線で仕切るという国境の概念が存在していなかったということです。

この概念は、現在の大国と呼ばれる国々も国境という概念を超えて、自らの力で世界を支配しようとする世界観の根底にあるように思います。

1863年にフランスがカンボジアを植民地とすると、インドシナの国家を自国の管轄とする国境線が必要となったわけです。そこで、1907年には、カンボジアの統治国であったフランスと当時のシャムの間で、地図の作成が行われました。このときに、「ダンレック山脈の分水嶺(雨水が流れる境界)」を国境とすることに合意しました。

後にフランス側が作成した地図では、分水嶺の原則に反して、重要な遺跡であるプレアヴィヒア寺院がカンボジア側に含まれるように描かれていました。当時、タイ側はこの地図に抗議しなかったため、これが後に決定的な証拠となってしまいます。

プレアヴィヒア寺院は、9世紀から13世紀にかけてのクメール王朝の国王が、民に自らの威信を示すために継続して建てられた寺院の集合体です。

天頂は、カンボジア全土を見渡せるほどの絶景です。

さて、1953年にカンボジアがフランスから独立すると、翌年の1954年には、フランス軍の撤退に乗じ、タイ軍がプレアヴィヒア寺院を占拠します。

カンボジアの提訴を受けて、1962年に国際司法裁判所(ICJ)が「タイは長年フランスの地図に異議を唱えなかったため、その地図を認めたとみなされる」とし、寺院はカンボジア領であると認めました。

タイは、不満を抱きつつも、一旦は軍を撤退させました。

1970年代から90年代にかけて、カンボジアはクメール・ルージュによる内戦状態に陥ったため、国境問題は二の次となりました。

国境付近には多数の地雷が埋設され、寺院も閉鎖に近い状態が続きました。

冷戦終結後、再びそれぞれのナショナリズムが再燃します。

2008年にユネスコがプレアヴィヒア寺院をカンボジアの世界遺産に登録したことを、タイの国内世論が激しく反発し、国境付近で両軍による銃撃戦が発生、死傷者が出る事態となりました。

      2011年には、大規模な軍事衝突が発生し、住民が避難する騒ぎに発展しました。

      2013年に、 ICJが1962年の判決を再解釈する形で、寺院本体だけでなく「寺院が立つ突端部全体」をカンボジア領とする判決を出しました。

      そして、未画定地域(タ・ムアン寺院付近など)や、石油資源が眠る海洋境界線をめぐって、両国は、時折緊張が高まる場面が見られます。

      この問題の根底には、タイ側にとっては「不平等条約によって奪われた土地」、カンボジア側にとっては「歴史的・文化的なアイデンティティ」という、互いに譲れないプライドの衝突があります。

      結局、話し合いでは解決のつかないことは、武力によって征服し、解決するのが過去の歴史でも繰り返されてきたことです。

      今、双方の国で言い合っている「向こうから始めた。」は、全くの水掛け論です。

      喧嘩両成敗といいますが、子どものけんかと全く同じなのが、争いごとの原則を物語っていると思いませんか。

      私は、国家の政治的な問題もさることながら、ナショナリズムの危険性を強く感じます。

      タイでは、領土を取り戻せと国民が戦意をあおり、カンボジアでは平和を望むが国を守るためなら命を惜しまないというムードが蔓延しています。

      自由主義のナショナリズムは、現状打破欲求の膨張の表れであり、ある意味、とても無責任です。

      なら、とことん最後までやればいいとはいきません。

      実際に世界遺産であるプレアヴィヒア寺院を自らのものというタイが、そこにクラスター爆弾を投下して、破壊しています。

      また、双方とも軍隊のみならず、民間人の死傷者を多数出しています。

      今、必要なことは、

      「一端立ち止まる勇気」

      です。

      それができる立場にある人が、自らの地位もナショナリズムも切り離して、号令をかけることしかありません。

      この世の中、正解は一つではありません。

      どちらにも正義があります。

      中国と日本の場合も同様です。

      自分の家に招いた客が家内のことにケチをつけて帰った、軍隊を出動させると威嚇されたと怒る中国。

      正論を言っただけなのに、とことん攻撃をしてくると憤る日本。

      いずれにしても、どちらが正しいはありません。どちらかが間違っているもないのです。

      引用:カンボジア情報省サイトより

      ただ一つ考えるべきことは、国家の体を保つために多くの犠牲者を産み出していいかということに尽きると思っています。

      未来に生きる我々の子孫のために・・・です。

      過去記事は、以下からどうぞ。


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