カンボジアで教育支援NGOの代表として、見過ごすことのできない書き込みが時々ネット上にあがります。
貧困な子供たちの写真をWebに載せることは、掲載者の自己承認欲求を満たすだけのもので、その子供たちの肖像権の侵害や将来における悪用への不安を産み出すだけである。
との書き込みを目にしました。
肖像権という観点では、もっともなご意見です。
一方、ボランティア活動や寄付、あるいは現地の状況を広く伝えるためには、教育支援に関心のある方々にとって「子どもの写真」は非常に強力なツールです。
この問題について、「掲載する側(NGO・支援者)」と「懸念・批判する側(人権・児童保護の視点)」の双方の見解を客観的に整理してみますと、・・・。
掲載する側(NGO・支援者)の見解とメリット
掲載する側には、活動を維持・発展させ、結果としてより多くの子どもたちを救うための切実かつ合理的な理由があります。
①信頼性と透明性の確保(活動報告)
寄付者(ドナー)や支援者に対して、「皆様の資金がどのように使われ、どのような成果が出ているか」を視覚的に証明することは極めて重要です。
子どもの笑顔や学ぶ姿は、活動の成果を示す最も雄弁な証拠となります。
②共感を呼び起こす強力なツール(寄付・支援の拡充)
文章や数字だけの報告よりも、現地の状況や子どもの表情が伝わる写真の方が、圧倒的に人々の感情を動かします。
新たなドネーション(寄付)を獲得し、より多くの予算を確保することは、支援活動を拡大し、さらに多くの貧困児童を救うための現実的な手段です。
③国際社会や一般への啓発(アドボカシー)
世界や日本国内の「関心層」を増やすためには、まず現状を正しく伝える必要があります。
もしも、現在のWEB上において、それらを文章だけの記事で掲載しても、知りたい側には十分に伝わらないでしょう。
メディアやWebを通じて写真を通してリアルな姿を発信することは、忘れ去られがちな貧困問題に光を当て、社会全体の意識を変える契機になります。
懸念・批判する側(人権・児童保護視点)の見解とリスク
一方で、インターネットの普及により、子どものプライバシーや将来へのリスクが可視化され、これを良く思わない声があることも事実です。
①肖像権と「真の同意」の難しさ(法的・倫理的リスク)
子どもやその保護者に写真掲載の許可を取っていたとしても、その同意が「対等な関係」で行われたかが疑問視されます。
「断ったら支援が打ち切られるかもしれない」という心理的圧力が働いている可能性や、インターネットに一度載った写真が世界中に拡散され、消せない(デジタルタトゥー)リスクを現地の住民が十分に理解していないケースが多いという問題です。
②将来における悪用やプライバシー侵害(安全性への懸念)
子どもの顔写真や位置情報、名前(あるいはそれに準ずる情報)がセットでネット上に残ることは、将来的なリスクを孕みます。
成長した後に「貧困層だった過去」や「施設にいた過去」が検索され、就職や結婚で差別を受けるリスク、あるいは児童ポルノや犯罪グループによる写真の悪用、なりすまし詐欺の素材にされる懸念もあります。
③「ポバティ・ポルノ」と自己承認欲求への批判(尊厳の侵害)
過度に悲惨な状況や、支援者に感謝する姿ばかりを強調する発信は、子どもの尊厳を傷つけ、「可哀想な途上国の子ども」というステレオタイプを固定化させると批判されます。
また、投稿者が「良いことをしている自分」をアピールするための道具(自己承認欲求の充足)として子どもを利用しているのではないか、という厳しい目線が向けられることもあります。
双方のバランスをどう取るべきか
この問題は「どちらか一方が100%正しい」というものではなく、「子どもの権利を守りながら、いかに活動の意義を伝えるか」というバランスの模索が必要だと考えます。
そこで、多くの国際NGOで行っているような「児童保護ガイドライン」を策定しました。
個人の特定を避ける工夫
名前や詳細な場所の匿名化
「悲惨さ」ではなく「希望と変化」の伝達
などを盛り込んだメディア運用ガイドラインです。
もちろん、すべての訪問者・参加者にも適用されます。
今一度、ご一読ください。
実を言えば、私自身、長い間この課題に向き合わってきました。上記のガイドラインも、不文律として心の中に持ちつづけていたものです。
しかし、今回の規定の文章化による策定は、当団体の社会的信用を高める上でも非常に有意義なステップであると考えます。
以上、ご理解とご協力をいただけましたら幸いです。


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