いくつかの記事の閲覧数(PV)が急増
最近、驚いていることがあります。
以前書いたある特定の記事の閲覧数(Page View)が急増しているんです。
それが下の3つの記事。
ポルポト政権が生まれた背景
ポルポト時代を生き抜いたカンボジア人女性ポンナレット久郷さんの存在
トップのお写真は、久郷ポンナレットさん。
私がカンボジアを支援する理由の一つになっているのが、この方の存在。
現在、日本に住んでいる正真正銘のカンボジア人です。
彼女は、1975年~79年の間のポル ...
ポルポト政権とクメールルージュの全容がすべてわかるアプリ
カンボジアの近代史を語る上で、必ず人々の関心を呼ぶのがクメールルージュ支配下の出来事。
ポルポト政権時代の民主カンプチアの国旗。
この赤い国旗が意味するものを、私たちはもう一度考える必要があります。
図書と共に伝わっていくこと
学校支援訪問の意義を今一度考えてみました。
支援リストを入手する。リストの中から、訪問に適した支援校を抽出する。事前に訪問し、支援日を確定する。こうして実現する学校支援訪問。
図書を届け ...
カンボジア内戦は大国のアジア侵略とつながっている
この活動をしていて、い ...
【170万人の虐殺】ポルポト政権が3年8カ月の間に行ったこと
1975年4月、ベトナム軍の支持を得たポルポト軍が破竹の勢いで、首都プノンペンに迫ってきました。
ベトナムでの戦局が悪化していたアメリカ軍は、カンボジアからも撤退し始めていました。
1975年4月17日 ポルポト政権が生み出した負の遺産の始まりの日
この記事は、ポルポト政権が生まれた背景の続きとしてお読みください。
フランス統治時代のプノンペン1970年代、プノンペンは、当時「東洋の真珠」と呼ばれ、アジアでも指折りの大都市でした。
西洋風の建物におしゃれな ...
【忌まわしき虐殺の時代】ポルポト政権が生まれた背景
カンボジアの歴史を語るとき、誰もが大虐殺が行われたポルポト時代だけに目が向きがちですが、時代の流れには必ずその時の世界情勢が関わっています。
そこで、ポルポト政権が台頭した理由を時代背景を含めて解説したいと思います。
【ポルポトの虐殺の展示】トゥールスレン博物館とキリングフィールド
プノンペン中心部にあるトゥールスレン博物館は、虐殺の歴史を現在まで保存してある貴重な史跡です。
正式には、トゥールスレン虐殺犯罪博物館と言います。
元は、高等学校ですが、教室が収容所、監禁場所、そして拷問の場所 ...