【2023年選挙に思う】カンボジアの選挙に命を懸けた日本人の話
今から、遡ること5年前、2018年7月29日。
カンボジア国民議会総選挙があった日です。
プノンペンは、閑散としていました。
そう、選挙前々日~前日にかけて、人々は故郷へ返って投票するからなんです。
エピソード1 教え子編
その日、私は、プノンペンである人と会いました。
それは・・・・。
日本からやってきたMさん一家。
このMさん、私の元教え子なんです。
ぜひ先生に会いたいということで、かわいらしい娘さんと奥様を連れて、はるばる日本からカンボジアにまでやってきました。
選挙の前日~当日だったこともあって、この光景を鮮明に覚えています。
娘さんたちと話しているとき、当時の彼と重ねてみていたのを思い出します。
彼は、当時、大手企業の駐在員でアメリカに滞在していました。
いっぱい日本語で話しかけてくる娘さん。
外国に来て、日本語が通じる人と会えて安心したのかもしれません。
このときに、
「先生、僕が払います。」
とカードで支払いする彼。
成長したものです。
そういえば、私の家にもバスに乗って遊びに来たことがあったっけ。
たくさん御馳走してあげたのが、何十年もあとになって返ってくることに不思議な感覚を覚えたものです・・・。
その日一日、一緒にプノンペンを観光し、彼らは、シェムリアップに
エピソード2 選挙に命を懸けた人物
ところで。
カンボジアの選挙といえば、私は真っ先にこの人を思い浮かべます。
中田厚仁さん。(1968年1月10日出生 – 1993年4月8日没)
享年25歳
お若い方は、存じ上げないかもしれません。
当時、長らく続いた内戦が、1991年「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(パリ和平協定)の採択を受けて終結をしましたが、カンボジアには、自ら政治を司る力はなかったために、日本人の明石康さんを代表とするUNTAC(アンタック、国連カンボジア暫定機構)が自由で公正な選挙の実施、停戦の監視、武装解除を目的として駐留していました。
中田さんは、この国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)によって実施されたカンボジア総選挙の選挙監視員としてカンボジアのコンポントム州に派遣されて、活動をしていた方です。
当時のカンボジアでは、クメールルージュの残党が暫定政府の推進する選挙運動に真っ向から反対していました。
民衆も彼らの武力に怯え、選挙運動に参加しようとしませんでした。
その選挙運動期間中、中田さんは、選挙に関わろうとしない人々に、各村を回り、自由で公正な選挙の必要性を必死に訴え続けました。
そんな日々を送っていた最中の1993年4月8日、コンポントム州プラサットサンボープレイクック付近の村で、彼の乗っていた車がクメールルージュの兵士らによる銃撃を受け、命を落としました。
中田さんの残した有名な言葉があります。
わたしは、カンボジアの総選挙のたびに、この言葉を思い出します。
中田さんが亡くなった村に建てられた学校は、アツ小中学校と命名されました。
校内には、中田さんのお墓があります。
これは、中田さんが命を懸けて残したカンボジア国民への大きな財産だと思っています。
その総選挙が、明日行われます。
土曜日のプノンペンは、市場も閑散としています。
選挙会場になる全国の各小中学校も、土曜日~月曜日まで一斉にお休みとなります。
公正で民主的な選挙
全世界の人々が見つめつつ、それが実現されることを願っています。
アツ小学校を訪問した時の記事はこちら。
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