ポルポト政権とクメールルージュの全容がすべてわかるアプリ
- 1. アプリ「クメールルージュの歴史」
- 1.1. 第1章 どのようにしてクメールルージュが権力を握ったのか。
- 1.2. 第2章 クメールルージュによるプノンペン制圧
- 1.3. 第3章 クメールルージュはどのように毎日の生活を組織したか。
- 1.4. 第4章 クメールルージュの方針と思想
- 1.5. 第5章 民主カンプチア政権
- 1.6. 第6章 セキュリティシステム
- 1.7. 第7章 民主カンプチアの衰退
- 1.8. 第8章 裁判への道のり
- 1.9. 第9章 クメールルージュ下における婚姻
- 1.10. 第10章 アンコールの子どもたち
- 1.11. 第11章 クメールルージュ下における少数民族
- 1.12. 第12章 クメールルージュへの抵抗
- 1.13. 第13章 追加記事
- 1.14. 第14章 ビデオ資料
第5章 民主カンプチア政権
原子共産主義を掲げたサルトサル(俗名ポルポト)。彼を党首とした民主カンプチアという国が、どのような国家を目指したのかについて書かれています。
第6章 セキュリティシステム
「敵は身内にあり」国家体制を維持するために、内部の反抗分子をあらゆる方法を用いて一掃しようとした様子がわかります。
第7章 民主カンプチアの衰退
1979年1月7日は、クメールルージュの支配から解放された日です。ポルポト政権が陥落するまでの様子について解説しています。
第8章 裁判への道のり
内戦終了後、国際法廷によりポルポト政権時代の虐殺について裁判が行われています。生き残った証言者が非常に少ないことから、裁判が困難を極めたことがうかがえます。そして、それは現在もなお続いています。
第9章 クメールルージュ下における婚姻
ポルポト政権下では、自由な恋愛も禁止されていました。婚姻は、オンカーの命令によって成立したのです。
第10章 アンコールの子どもたち
実は、ポルポト軍下で戦った多くが少年少女兵士たちでした。当時の子どもたちは、家族も親も信じるなと教育され、オンカー(上層部)の言うことのみが正しいと信じ込まされてきました。