【170万人の虐殺】ポルポト政権が3年8カ月の間に行ったこと
ポルポトと幹部たちの存在
ポルポト自身は、決して表に姿を見せなかったと言われています。
それゆえ、当時の人々は、ポルポトの存在を知らず、ただオンカー(お上)に従うように命令されていました。
彼とそれを取り巻く幹部たち。
ポルポト政権の幹部だったイエンサリ。
具体的な政策を指示していた人物の一人です。
彼の妻イエンチリトとポルポトの妻キューポナリーは姉妹の関係。
この4人は、パリ留学時代に知り合い、親交を深め合っていた関係でした。
実際に、政務を担当していた幹部たちを動かしていたのも、2人の妻たちの存在があったことも、後になって明らかになっています。
ポルポトの教育
ポルポトは、家族の存在も否定しました。
子どもたちは、村落に集められ、強制的に教育を受けました。
それは、現在の学校教育のような幅広い最低限の知識を持たせる教育ではなく、オンカーに従うためだけの思想教育でした。
少年少女たちは、純粋なゆえにオンカーの思想を信じ、ポルポトの意のままに行動しました。
これは、アンコールワット寺院内で教育を受けている当時の子どもたちの様子です。
中には、ポルポトに忠実に従う兵士として育成された子供たちも大勢いたのです。
実際に、この少年少女たちもすすんで殺戮を行っていたと伝えられています。
オンカーへの忠誠は、自らの行動で示す必要があったからです。
内部粛清が加速
1978年ごろになると、ベトナムとの争いが東部地方で起こるようになります。
オンカーは、ベトナムへの内通者に目を光らせ、幹部クラスであっても家族ともども処刑された例もあります。
事実、現フンセン首相も、当時地方司令官としての役職に就いていましたが、内部告発などにより、家族親戚10名が処刑されていると言われます。
身の危険を感じたフンセンらは、深夜に数名の兵士らと持ち場を抜け出し、ベトナムに命からがら逃れました。
そして、ベトナム軍を説得し、味方に引き入れ、クメールルージュを倒す原動力になりました。
皆さんが、トゥールスレンで見る遺影写真の中には、クメールルージュに属していた人々も大勢いるということです。
終わりなき裁き
資本主義においては、個人が資産を築くことは自由であり、資産を築くほど英雄視されますが、原始共産主義では資産家は自分勝手で堕落した人間の象徴として扱われるのです。
レーニンやスターリン下のソ連、経済開放以前の中国がそんな国家体制でしたね。
カンボジアも20世紀初頭のフランス統治時代には、王国制を基盤にした資本主義国家でした。
資本主義が過度に進むと、貧富の差が生じて、国の体制が収集つかなくなる。その先に、平等な社会を実現するための社会主義、共産主義が到来するというカール・マルクスの理論に沿った歴史の流れをポルポト政権の誕生に見ることができます。
隣国の戦争、繰り返される内戦・・・、ポルポトは、これらを根本解決するためにとった最善策だと考えたのでしょう。
かといって、体制維持のために国民を虐殺することが赦されるはずもありません。
原始共産主義の思想は、日本人の我々からは想像もつかないものですね。
2020年になり、国際法廷によって裁かれたポルポトの元幹部も、獄死あるいは病死などで、ほとんどが亡くなっています。
詳しくはこちらをお読みください。
虐殺の真実を語り継ぐ人が少なくなっていることを危惧しています。
カンボジアに来られたら、トゥールスレン博物館とキリングフィールドを訪問して、今一度考えてみてください。
この悲劇がなぜ起こったのかを・・・。
そこから、本当のアジア史の理解がひも解くことができます。
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