【本当の国際支援とは?】バラマキ支援についての解説

マンスリーサポーター様が16名になりました。

貧困世帯のマンスリーサポートは、当団体が2023年9月から開始したピンポイントの貧困支援です。

内訳は、当ホームページから5名、そしてReadyForさんのサイトから、お申し込みいただいた方々が11名です。

当団体のモットーである

「貧困に対して、見て見ぬふりをしない。」

を実践化したマンスリーサポートも、これだけ多くの方々にバックアップをいただいている輪の広がった活動になりつつあります。

ReadyForさんのサイトはこちら。

貧困世帯の子どもたちに愛を届けるマンスリーチャイルドサポート

おかげさまで、私たちは、国連憲章に基づいて、その実現を末端の現場でこそ担うべく、支援活動を続けさせていただいております。

本当にありがとうございます。

SDGsロゴの使用にあたっては、国連本部からの許諾を得ております。

さて、今回は「バラマキ支援」なるものについて書こうと思います。

バラマキ支援とは???・・・・。

イメージとして、節分の日の豆まきを思い出してみてください。

あの豆をまくような支援。

豆の中に、ちょっとしゃれたお菓子や飴玉が混ざっていると一目散にそこに目を向けようとする。

人の物欲を掻き立てる感覚とでもいうのでしょうか。

的を外してると言いましょうか。

実は、学校支援の現場でも、それに似た感覚になることがあります。

例えば、学校に在籍している子どもたちには、ある程度モノがそろっている家庭の子と極貧の家庭の子どもが両極端に存在しています。

でも、学校全体にものを配るときに、特定の子どもにだけ渡すことはなかなかできないものです。

カンボジアでは、不公平は最も嫌がられることでもありますから。

このような、一律に学用品を子どもたちに寄贈する活動は、どこにでもありますし、実際に私も何度もこのような支援活動を行ってきました。

しかしです。

必要のない子どもに、不必要なものを届ける。

これでは、善意の種はまかれても、核心という実は育たないのであります。

例えば、モノがそろっている子どもに持っているものを与えることが、その子どもにとってどんな価値を与えるのでしょうか。

本当に必要としているところに、必要なものを届ける。

私は、これこそ、支援活動の本質であり、王道だと思うのです。

そこで、私は、近年、このバラマキ支援なるものから、ピンポイントに届ける支援活動へのシフトを心がけています。

例を挙げれば、

①貧困世帯のマンスリーサポート

学校側と連携をして、極貧世帯生活者のリストを作成し、その中から、成績優秀者及び無欠席者を抽出します。

②貧困家庭を直接訪問して、食料品や支援物資を届ける。

まさにピンポイントの貧困サポートです。基本、食料品が中心になりますが、子どもには学用品・衣料などを寄付します。

③学校へモノを寄贈するときには、本当にそれを必要としている児童生徒を学校側でリスト化してもらう。

渡すときには、その生徒たちだけ、授業終了後に残ってもらい、直接手渡します。

いずれの方法にしても、現地の教育局や小中学校の先生方とのつながりの上で成り立つことではあります。

また、観点がモノから質に変わりますが、国際支援の現場においては、支援の中身も問われます。

以前、ある学生団体様から、「カンボジアの子どもたちに科学教室をやりたい」という申し出がありました。

一見、良いことのように思えますよね。

でも、この方が全く理解できていないことがあるのです。

何が問題なのでしょう。

敢えて厳しい言い方で書くならば、この活動は、自分たちがそれをしたいのであって、現地の必要性が全く配慮されていません。

いや、むしろ科学教育はどこでも必要だという勝手な思い込みによる見当はずれなものなのです。

これも、バラマキ支援の一つかなと思います。

カンボジアの初等教育では、一にクメール語、二に数学というくらい、重要視されている科目があります。

実際に、小学校高学年にも、自分の名前を母国語で書けない子どもたちがいることを知らなければなりませんし、現場では、科学は日常の経験から学ぶという慣習のようなものがあって、中学校からの履修で十分であるという考え方が根強いのです。(日本の理科と社会の教育が、1990年代に小学校1・2年生では生活科という科目に統合されたのと考え方が似ています。)

カンボジアの子どもたちは、戸外で遊んでいても、雲の様子を見て、気温の急変や風向きから、天候を判断し、パッと家路につくところなんかは、日本の子どもたちにはないたくましさですし、生活そのものが自然と共存しているため、日本の子どものように火の付け方を知らないとか、虫一匹さえ手でさわれないとかへびを殺せないといった生活力のない子どもはあまりいません。

余談ですが、以前、大学生でライターの火をつけられない方がいて驚きましたし、ライターの火の温度は何度と聞いたら、100℃だと答えた学生もいました。科学の知識や経験も持たない、虫嫌いな大人を輩出している日本の理科教育にも大きな問題点があります。

おまけに、この科学教室は単発の思い付きであり、その後の計画も継続性も何もあったものではありませんでした。

自分たちがやりたいからやる。

こんな支援活動がまかり通っていては、草の根活動であるNGOの存在自体が危ぶまれます。

やりたい支援=本当に必要とされる活動であり、実際に実を結ぶ支援

であれば問題はありません。

過去記事でもお伝えしてはおりますが、2023年2月下旬の1週間にわたり、プノンペンからコンポンスプー州まで、我々が支援に関わる10の学校や施設において、演奏訪問にお越しいただいた世界的に名の知られた古川はるなさんというプロの音楽家がおりました。

私が彼女を招いて、この演奏活動を共にしたのは、上記の公式が成り立っていたからに他なりません。

詳しくはこちらをお読みください。

【情操教育向上プロジェクト】フルーティスト古川はるなさんの地方部への演奏訪問

真剣に聴き入る保護者の皆さま
高校生たちに囲まれる古川氏

演奏者の古川はるな氏ご自身が高次元の支援マインドをお持ちの方で、上から目線でしてあげている感が全くなく、常に視聴者と同じ目線で演奏されていたのが大変に印象的でした。

演奏することが目的ではないことがお分かりいただけますでしょうか。

演奏は手段であって、高等教育機関までほぼ音楽授業の行われないカンボジアの子どもたちの情操教育に布石を打つことを目的としたプロジェクトでした。

最後に行ったチャリティコンサートの収益は、全額、貧困世帯の子どもたちに寄付していただきました。

チャリティコンサートでの演奏の様子(Youtube動画)はこちら。

古川はるなさんのチャリティコンサート

ばらまき支援

この表現を用いると、このような支援の在り方を批判的に見ていると思われるかもしれません。

支援には、自由さがあっていいとは思いますが、迷惑をかけたり、現地のためにならない支援は、無駄以外の何ものでもありません。

本当に必要なことに支援する。

これは、国税を投資するODAの現場では、決まり事でもあります。

もちろん、人さまからご支援をいただいて行う我々の場合も、最大限のベストパフォーマンス(最大効果)を狙って、支援活動に携わるべきなのは言うまでもありません。

さらに語りたい内容も多々ありますが、また、別の機会に書かせていただきます。

最後に、本記事は、マンスリーサポートの話題で始まりましたので、ご支援者の皆様には、本当に必要とされる支援に投資してくださり、感謝の念に堪えません。

Pay it Foward  恩の先送り

孫の世代の地球を考えましょう。

国際支援は、未来の地球への投資です。

そのことを真実として申し伝えておきます。


最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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