ポルポト

カンボジアの生活

【2023年選挙に思う】カンボジアの選挙に命を懸けた日本人の話

今から、遡ること5年前、2018年7月29日。カンボジア国民議会総選挙があった日です。プノンペンは、閑散としていました。そう、選挙前々日~前日にかけて、人々は故郷へ返って投票するからなんです。エピソード1 教え子編その日、私は、プノンペンで...
カンボジアの歴史

【ポルポト時代の粛清】人の心の中にある凶器

先日、タケオのキリングフィールドに行ったときに、再度考えさせられたことについて触れたいと思います。この文章のテーマは、人の心の在り方。私の学校勤務時代に、こんなことをよく言う先生がいました。「あの人は良い人だよ。」それって、あなたにとってい...
カンボジアの歴史

ポルポトの虐殺の歴史をいかにして次世代に伝えるかという問題

ポルポトの大虐殺の歴史からすでに40年の歳月が流れ、現在の学生たちは全くそのことを知りません。では、現地カンボジアでは、この歴史的事実をどのようにして次の世代に伝えているかをご紹介したいと思います。特に際立って目に付くのは、プノンペン周辺の...
カンボジアの歴史

タケオ州のキリングフィールド

キリングフィールドについては、過去記事で何度も取り上げてきました。プノンペン近郊のキリングフィールドバッタンバンのキリングフィールドで涙する【ここでも殺戮が・・】スバイリエンのキリングフィールド「Wat Koh Chum」「殺戮の原野」と訳...
活動レポート

ポルポトの記事へのご意見をいただきました

ブログにてカンボジアについて様々なことを発信していると、いろんなご意見を頂けます。これは、発信者にとっては、読み手がどのようなお気持ちで受け止めていらっしゃるかがよくわかるという点で、大変貴重なことです。まずは、ブログを楽しみにしていただい...
カンボジアの歴史

【大量虐殺の責任は誰に】ポルポトの最後と幹部たちのその後

ポルポト政権が行ったことの詳細については、当ブログで最も読まれているこちらの記事をお読みください。ポルポト政権崩壊後の複雑な歴史1978年12月25日、ベトナム軍と反クメールルージュ軍であるカンボジア救国民族統一戦線が連携して、カンボジアに...
カンボジアの歴史

バッタンバンのキリングフィールドで涙する

バッタンバンのキリングフィールドバッタンバンのキリングフィールドは、市の中心部からサンカー川沿いに北へ6㎞ほどのところにあるSamrong Knongというお寺の隣にあります。大きな慰霊塔が建てられています。USA、カナダ、オーストラリア、...
カンボジアの歴史

カンボジアの将来はどうなっていくのか

カンボジアの10年後は、どうなっているのか。こんなことを最近よく考えます。今回は、お若い方向けに「戦争・歴史・政治」の話題に始まり、国の将来を見据えての考えを述べさせていただきます。「政治的中立を保つ」という観点から、批判する内容ではなく、...
カンボジアの歴史

【ここでも殺戮が・・】スバイリエンのキリングフィールド「Wat Koh Chum」

プノンペンから、国道1号線をホーチミンに向かって120㎞。そこが、カンボジア、スバイリエン州のセントラル。そのまま進むと、50㎞ほどでベトナムとの国境の町バベットへ着きます。ご存じの通り、ベトナム戦争~内戦時代には、ベトナムとの国境では、ア...
カンボジアの歴史

キリングフィールドはカンボジア中にあるという話

写真を整理していたら、かなり前にバッタンバン州に行った時のものが出てきました。バッタンバン州は、プノンペンからは、国道5号線で300㎞ほどの距離です。写真の日付が、2018年4月9日になっていましたので、約2年前。なぜバッタンバンに行ったの...