カンボジアの歴史

カンボジアの歴史

カンポットのPhnom Chhngorkは5世紀の洞窟遺跡

カンポットのドリアンラウンドアバウトから、約13㎞ほどの距離に、Phnom Chhngorkという洞窟にある寺院があります。途中の道は、手つかずの自然道。雨季には、ぬかるみに注意です。大型車両の後ろでは、土ぼこりが舞い上がりますので、ちょっ...
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コンポンスプー州のTasal Dam

カンボジアでは、9月~10月にかけて大雨が降ると予想されています。そこで、8月最後の日曜日に、天気が良かったので、少し遠出してみました。行先は、アオラル郡からさらに山奥に入り込んだTasalダムです。途中には先週行ってきた温泉場があります。...
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【大量虐殺の責任は誰に】ポルポトの最後と幹部たちのその後

ポルポト政権が行ったことの詳細については、当ブログで最も読まれているこちらの記事をお読みください。ポルポト政権崩壊後の複雑な歴史1978年12月25日、ベトナム軍と反クメールルージュ軍であるカンボジア救国民族統一戦線が連携して、カンボジアに...
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ポルポト政権後のカンボジアについて考える

カンボジアと言えば、ポルポト政権時代に行われた虐殺のみがクローズアップされがちですが、今日は、その後の歴史について触れてみようと思います。ポルポト政権時代に再教育と称して行われた、非人道的な虐殺についてはこちらの記事をお読みください。ポルポ...
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【ガイドブックにない】バッタンバンのバセット寺院

この寺院は、バッタンバンの中心から、サンカー沿いに北上した後、東へ進むと右手に現れます。距離は、15 kmほどです。バッタンバンのバセット寺院は、ジャヤヴァルマン1世(1002〜1050年)の時代に建てられたヒンズー教の神殿でした。崩壊が進...
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バッタンバンのキリングフィールドで涙する

バッタンバンのキリングフィールドバッタンバンのキリングフィールドは、市の中心部からサンカー川沿いに北へ6㎞ほどのところにあるSamrong Knongというお寺の隣にあります。大きな慰霊塔が建てられています。USA、カナダ、オーストラリア、...
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カンボジアの将来はどうなっていくのか

カンボジアの10年後は、どうなっているのか。こんなことを最近よく考えます。今回は、お若い方向けに「戦争・歴史・政治」の話題に始まり、国の将来を見据えての考えを述べさせていただきます。「政治的中立を保つ」という観点から、批判する内容ではなく、...
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【ここでも殺戮が・・】スバイリエンのキリングフィールド「Wat Koh Chum」

プノンペンから、国道1号線をホーチミンに向かって120㎞。そこが、カンボジア、スバイリエン州のセントラル。そのまま進むと、50㎞ほどでベトナムとの国境の町バベットへ着きます。ご存じの通り、ベトナム戦争~内戦時代には、ベトナムとの国境では、ア...
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キリングフィールドはカンボジア中にあるという話

写真を整理していたら、かなり前にバッタンバン州に行った時のものが出てきました。バッタンバン州は、プノンペンからは、国道5号線で300㎞ほどの距離です。写真の日付が、2018年4月9日になっていましたので、約2年前。なぜバッタンバンに行ったの...
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ポルポト政権とクメールルージュの全容がすべてわかるアプリ

カンボジアの近代史を語る上で、必ず人々の関心を呼ぶのがクメールルージュ支配下の出来事。ポルポト政権時代の民主カンプチアの国旗。この赤い国旗が意味するものを、私たちはもう一度考える必要があります。この時代に、200~300万人の人々が虐殺され...