カンボジアの歴史 カンポットのPhnom Chhngorkは5世紀の洞窟遺跡 カンポットのドリアンラウンドアバウトから、約13㎞ほどの距離に、Phnom Chhngorkという洞窟にある寺院があります。途中の道は、手つかずの自然道。雨季には、ぬかるみに注意です。大型車両の後ろでは、土ぼこりが舞い上がりますので、ちょっ... 2020.12.18 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 コンポンスプー州のTasal Dam カンボジアでは、9月~10月にかけて大雨が降ると予想されています。そこで、8月最後の日曜日に、天気が良かったので、少し遠出してみました。行先は、アオラル郡からさらに山奥に入り込んだTasalダムです。途中には先週行ってきた温泉場があります。... 2020.09.01 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 【大量虐殺の責任は誰に】ポルポトの最後と幹部たちのその後 ポルポト政権が行ったことの詳細については、当ブログで最も読まれているこちらの記事をお読みください。ポルポト政権崩壊後の複雑な歴史1978年12月25日、ベトナム軍と反クメールルージュ軍であるカンボジア救国民族統一戦線が連携して、カンボジアに... 2020.07.14 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 ポルポト政権後のカンボジアについて考える カンボジアと言えば、ポルポト政権時代に行われた虐殺のみがクローズアップされがちですが、今日は、その後の歴史について触れてみようと思います。ポルポト政権時代に再教育と称して行われた、非人道的な虐殺についてはこちらの記事をお読みください。ポルポ... 2020.07.12 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 【ガイドブックにない】バッタンバンのバセット寺院 この寺院は、バッタンバンの中心から、サンカー沿いに北上した後、東へ進むと右手に現れます。距離は、15 kmほどです。バッタンバンのバセット寺院は、ジャヤヴァルマン1世(1002〜1050年)の時代に建てられたヒンズー教の神殿でした。崩壊が進... 2020.07.02 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 バッタンバンのキリングフィールドで涙する バッタンバンのキリングフィールドバッタンバンのキリングフィールドは、市の中心部からサンカー川沿いに北へ6㎞ほどのところにあるSamrong Knongというお寺の隣にあります。大きな慰霊塔が建てられています。USA、カナダ、オーストラリア、... 2020.06.30 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 カンボジアの将来はどうなっていくのか カンボジアの10年後は、どうなっているのか。こんなことを最近よく考えます。今回は、お若い方向けに「戦争・歴史・政治」の話題に始まり、国の将来を見据えての考えを述べさせていただきます。「政治的中立を保つ」という観点から、批判する内容ではなく、... 2020.06.29 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 【ここでも殺戮が・・】スバイリエンのキリングフィールド「Wat Koh Chum」 プノンペンから、国道1号線をホーチミンに向かって120㎞。そこが、カンボジア、スバイリエン州のセントラル。そのまま進むと、50㎞ほどでベトナムとの国境の町バベットへ着きます。ご存じの通り、ベトナム戦争~内戦時代には、ベトナムとの国境では、ア... 2020.06.28 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 キリングフィールドはカンボジア中にあるという話 写真を整理していたら、かなり前にバッタンバン州に行った時のものが出てきました。バッタンバン州は、プノンペンからは、国道5号線で300㎞ほどの距離です。写真の日付が、2018年4月9日になっていましたので、約2年前。なぜバッタンバンに行ったの... 2020.06.26 カンボジアの歴史
カンボジアの歴史 ポルポト政権とクメールルージュの全容がすべてわかるアプリ カンボジアの近代史を語る上で、必ず人々の関心を呼ぶのがクメールルージュ支配下の出来事。ポルポト政権時代の民主カンプチアの国旗。この赤い国旗が意味するものを、私たちはもう一度考える必要があります。この時代に、200~300万人の人々が虐殺され... 2020.05.18 カンボジアの歴史