【スタッフブログ】教員養成大学訪問と学校支援活動への参加
こんにちは。
2/6-4/2の約2ヶ月間、インターン生として活動している大学生のTです。
私は、チアフルスマイルのインターン生です。
現在、プノンペンから西に約50km、コンポンスプー州という場所で活動を行っています。
ここは、いわゆるベットタウンで田舎と都会の間だといわれています。
景色の途切れ途切れに田んぼやのどかな風景が広がり、田舎を感じることもできますが、学校やプサー(市場)が多く、観光地ではない生活地として、カンボジアのリアルな暮らしを体感できています。
日本の生活と比較して、「生きる」意味を感じ、刺激と驚きの連続の日々です。
3月末に、チアフルスマイル代表の松田さんの案内で、スバイリエン州での支援活動にインターン生2名で同行させていただきました。
今回はインターン活動記として、この2ヶ月で特に印象に残っている、スバイリエン州での支援活動について書き記したいと思います。
まるでフルマラソン、支援の舞台裏
金曜日と土曜日にかけて活動を行いました。
まずコンポンスプー州からプノンペンへ東に約50km移動しました。
出発したのが、金曜日の夜だったため、プノンペンでの渋滞にはまってしまいました。
その渋滞の原因の一つとしてカンボジアの交通問題である信号機の少なさがあげられます。
実際に、自分が困ることによって社会問題の当事者の気持ちが少しわかったような気がします。
金曜日の夜、さらにプノンペンからネアックルンまでバイクで約65kmの旅をしました。
土曜日の早朝から、ネアックルンからさらにスバイリエン州の教員養成大学まで、約60kmバイクを走らせました。
Brasableak Primary Schoolは、スバイリエン州の中のベトナム国境付近に位置しているので、さらに40kmほど移動しました。
つまり、コンポンスプー州から合計、往復約430kmの旅でした。
途中で休憩も取りましたが、今思い返せばとてもハードだったと思います。
乗り越えられたことは自分でも驚きです。
普段の自分なら、体力的にしんどいかもと感想を持つ場でしたが、私の心中はワクワクでいっぱいでした。
なぜなら、私たちに会うの待ってくれているカンボジアの人々に会えるのが楽しみだったからです。
この目的がなかったら、途中でリタイアしてしたかもしれません。
心のインセンティブによって乗り越えられるものがあると驚いたと同時に、自分の心が動かされるインセンティブに気づけたことが大きな収穫でした。
金曜日の夜に、ネアックルンのゲストハウスで一泊し、土曜日の朝5時半からスバイリエンへバイクを走らせました。
土曜日に、スバイリエン州のスバイリエン教員養成大学とBrasableak Primary Schoolに訪れました。
スバイリエン教員養成大学
スバイリエン教員養成大学では、校長先生にご挨拶をした後に、実際の授業の様子を見学させていただき、その後に大学生にインタビューをしました。
実際の授業は、小学生向けの理科の授業の模擬授業でした。
地球の自転の話で、日本政府が寄与した地球儀を使って授業をしていました。
実際に日本政府が過去に供与した校舎に椅子。
そこに実際にカンボジアの生徒が座って授業を受けていて、器具が使われているところを見ると、日本の援助が役に立っている実感が沸きました。
教員養成大学の学生と実際に色々お話できて、とても刺激になりました。
学生は日本の大学生に比べて、熱心に勉強していて、自分も日本での学修に力を入れようと思いました。
とても刺激を受けました。
その後、Brasableak Primary Schoolに訪問し、100冊の絵本を届けました。
校長先生や現地の先生とおしゃべりをして、生徒たちとも少し交流しました。
英語を話すSAMON先生と。
生徒、先生共に英語が話せる方が少なかったのが印象的でした。
本当の支援活動とは
この大移動と学校訪問によって、チアフルスマイルの活動がまさに草の根の支援であることを実感しました。
日本で暮らしていて、日本の企業が、政府が、NPOが○○を供与しました。
という報告は目にすることは多いですが、その過程をみることはなかなか難しいです。
私が携わせていただいた部分はほんの一部でしたが、実際に過程を経験して、支援の背景には物凄い時間と労力がかかっていると実感しました。
色々な支援がありますが、その背景には、事前にアポをとったり、それを運ぶ人やそして何より、私たちを待ってくれている現地の人々の姿があります。
カンボジアの人という主語になることがありますが、そこには一人一人の顔があり、人生があります。
実際に教師の方、学校の子どもたちと話しをして、この人たちの手にこの本が届くことを実感しました。
ただモノを渡して終わりなのではなく、世間話をして、お互いの家族の話をして、いわゆる友達のような関係性でした。
支援というと上下関係をイメージしがちですが、そこにはフラットな関係があると私には見えました。
日本人としての誇りスポット つばさ橋
つばさばしは、2015年に日本のODAでできた橋です。
カンボジアでは最も長い橋として有名です。
ネアックルンまでの道中に2回ほどつばさ橋を渡りました。
つばさばしができるまでは現地の人は、フェリーで5時間かけて移動していたそうです。
カンボジアの通貨、500リエルには、つばさ橋とともに同じく日本の援助でできたきずな橋と日本の国旗が描かれています。
そんなカンボジアと日本の友好関係の象徴の場所が、実は、私が一番行きたかった場所でした。
日本のレインボーブリッジのような形でした。
日本の形式の建築物があって異質な感じがしましたが、この規模の大きさとそのフォルムの美しさに圧倒されました。
日本のODAには批判が集まることも多々ありますが、実際に、そこに橋があって、カンボジア人が橋を渡っていて姿をみて、自分もその橋に足を踏み入れた時・・・。
胸にこみ上げてくるものがありました。
ドラマや映画のロケ地を巡るいわゆる聖地巡礼のような感覚で、日本の机の上で見ていたものが実際にカンボジアにあるのを目にした時、当たり前ですが、本当にある!と胸が熱くなりました。
自分ひとりの力では、つばさ橋のような大きなインパクトの支援はできないけれど、これからも国際協力分野について学修し、つばさ橋のように現地の人のためになる活動をする人になりたいと強く思いました。
スバイリエンの景色は、コンポンスプー州に比べればはるかに田舎でしたが、空がきれいで、日本よりも太陽が近くに感じました。
早起きして、ネアックルンからスバイリエンへ移動したときに目にした日の出は忘れられません。
帰り道は、ずっと心が満たされていて、約200kmの移動も楽しめました。
感じたこと
今回のスバイリエン州での活動で感じたことは、支援活動は、人と人がつないでできていることです。
支援のインパクトの大きさや効率性を求めることも大切ですが、そこにありがとうと喜んでくれる人がいる限り続けるべきものはあると思います。
モノによる支援であるとそこに人がいることを忘れてしまいがちですが、モノによる支援も人による支援であることを忘れないと心に誓いました。
それと同時に、現地に自分の足でいくことの重要さを再認識しました。
今は、インターネットで自分の得たい情報を何もかも得ることができる時代です。
世界で起きていることを容易に自分ごととして捉えることができます。
しかし、それで知った気になってはいけない。
やはり現地の匂い、温度、湿度、空気、人とのかかわり、挙げればきりがないですが、現地を自分の目で見ないとわからないことが数多あることに気づきました。
これからも色々な現場を体験し、どんな人の気持ちにも寄り添う想像力を培いたいです。
また、これはスバイリエン州に限ったことではありませんが、どこから来たの?日本人ですと答えると笑顔で、Japon!と言い、親切に接してくださいます。
私は、その理由には日本のODAをはじめとする日本人の先人たちが築いてきた軌跡にあると思います。
日本人としての誇りを持つと同時に、その軌跡を未来に紡ぐ日本人としてのプライドを持って残りの活動も頑張ろうと思います。
何よりカンボジア滞在の最後の週末をこのスバイリエンの支援活動に過ごせたことが自分にとってとても良い経験となりました。
最後に、私のわがままに付き合ってくださった松田さん、本当にありがとうございました。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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今日もあなたに素晴らしい一日が訪れますように、オークン。
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