1975年4月17日 ポルポト政権が生み出した負の遺産の始まりの日
知識は悪
そして、「知識は悪を産む」という思想のもと、政治家・医者・教師などは、捉えられて処刑されました。
カンボジアでこの光景を見たポンナレット久郷さん(当時6歳)は、この時の様子を涙ながらに以下のように語っています。
待ち受けていた強制労働
クメールルージュの構想は、すべての国民をオンカー(指導部)によって統制することでした。
ポルポト軍はプノンペンの人々に、
「アメリカ軍が再爆撃に来るので地方に避難しなければならない。」
と偽りの情報を伝え、自宅から退去するように伝えて回りました。
しかし、本当の目的は、
にあったのです。
250万人の市民は、家や財産を捨て、退去を余儀なくされ、地方の農村部へと徒歩で移動させられたのです。
炎天下の中、徒歩での移動です。
身動きできなくなった老人たちは、そのまま放置されていったそうです。
こうして、首都プノンペンに住んでいた人々は、わずか3日間のうちに地方に退去させられることとなったのです。
そして、移動した先で人々を待っていたのは、再教育を名目にした過酷な強制労働でした。
元々住んでいた村人は旧住民として優遇されたのに対し、彼らは新住民と呼ばれ、徹底的に虐げられる生活を送ったのです。
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