いくつかの記事の閲覧数(PV)が急増
最近、驚いていることがあります。
以前書いたある特定の記事の閲覧数(Page View)が急増しているんです。
それが下の3つの記事。
カンボジアで1960年代にポルポト政権が躍進したイデオロギーについての記事。
カンボジアの縫製工場で働く女工さんたちの生活を紹介しています。
1975年4月17日にプノンペン陥落の日から、1979年1月7日までの間の出来事について書いています。
これらのPVが現在進行形で伸びているわけがありそうです。
検索キーワードを見ると、
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ポルポト 活動
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ポルポト とベトナム
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カンボジア 孤児院 日本
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ポルポト政権 解説
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コロナウイルス統計 カンボジア
となっています。
これらから、予想すると、日本でポルポト時代のカンボジアに関する何らかの報道があり、とりわけカンボジア内戦時代に関心を持った方々が上記の検索キーワードから、私のページに入ってきたということでしょうか。
などが考えられますね。
日本で起きていることですので、カンボジアにいる私にはわかりようがないことなのですが・・・。
ご存じの通り、私は、国際協力NGOを運営しています。
このホームページも一人でも多くの皆さんに
カンボジアのことを知っていただきたい
カンボジア支援の必要性をお伝えしたい
平和の大切さを感じていただきたい
という想いで公開しています。
学校支援、ポルポト、縫製工場労働者、孤児院などの記事もすべては上の目的から。
現在、コロナウィルスによる学校閉鎖が続いているため、学校に関する記事が書けないことが悩みですが、カンボジアでの生活のことを皆さんに知っていただきたくて、私生活にも踏み込んで書き続けています。
それはそうと、
そもそも、日本のカンボジアへの情報って、古くないですか?
だって、プノンペンに来た人が、
「こんな都会だったとは思わなかった。」
と口々に言いますから。
貧しい国
命を落とす危険な国
不衛生な国
こんなイメージは、20世紀後半のものです。
プノンペンは、かつて東洋のパリと呼ばれた都市。
中心部は、道路整備が進み、美しい街並みが楽しめますよ。
治安に関して言えば、在住者目線でみれば、ピストル強盗にあったりすることはまずありません。
食べ物も店を選べば、おなかをやられたりすることもありません。
人からの情報ほど、当てにならないものはありません。
関心を持ったら、自分の目で確かめてみることをお勧めします。
今、ちょっとあるテーマの記事をこつこつと作成しています。
それは、
【これが真実】カンボジア移住ガイド
というテーマ。
カンボジアの政治の仕組みから、文化や衣食住の日常生活まで、暮らしに関することがすべてわかるような内容です。
参考にしていただければと思います。
そういえば、1年ほど前にサポートスタッフとして、こちらに4か月ほど滞在した学生さんもいらっしゃいました。
彼女は、アクティブに活動し、カンボジアの生活を楽しんで帰りました。
また、日本での緊急事態宣言が解除されたことを受けて、昨日数か月ぶりに学校支援訪問へのご参加のお申し込みがありました。きっと、人々の心にも未来への希望が戻りつつある証拠ですね。皆様のカンボジア支援のマインドに心から感謝申し上げます。
さて、話が戻ります。
冒頭の検索キーワードですが、日本在住の方で検索から記事を読まれた方がいらっしゃいましたら、日本で何があったのかを、ぜひコメントでお知らせいただけたら幸いです。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
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今日もあなたに素晴らしい一日が訪れますように、オークン。