図書と共に伝わっていくこと
学校を訪問することの意義
学校支援訪問の意義を今一度考えてみました。
こうして実現する学校支援訪問。
図書を届けるだけの目的であれば、人に頼むこともできるし、支援者に同行していただく必要もありません。
では、なぜ自らの足で訪問して、届けるのでしょうか。
それは、図書を届けることを通して、何か伝えたいメッセージがあるということです。
私の心の中には、常にこんなマインドがあります。
確かに図書を届けに行くのですが、こういう思いを込めて図書を届けているのです。
僻地の学校を訪問するほど、この思いは強まります。
それは、こんなカンボジアの僻地の学校にも、遠い国から光が届くんだよという希望を与えるメッセージでもあります。
支援者もいろいろ
これまで多くの方に、学校支援を行っていただきました。
若い方からご年配の方まで、年齢層もさまざまで、それぞれがカンボジア王国という国に関心を持ち、ここで暮らす子供たちへの思いを強め、図書を支援してくださいました。
ただ一つ言えるのは、すべての方がこの国に観光目的で来訪したのではないということ。
そこにあるのは、子供たちに愛を届けたいということ。
私の愛は、言葉にすれば、おそらく先に書いた通りのことだと思っています。
あなたの愛も具体的な言葉で表現してみると、なぜカンボジアまでお越しいただくのかが明確になるものと思います。
カンボジアは不都合が多い国
正直、カンボジアは日本と違って、不都合なことだらけです。
政治的な批判を口にすれば投獄されます。
外国人から、平気でお金を徴収します。
ホテルに泊まれば、たびたび給湯設備が故障しています。
半端ない交通渋滞に巻き込まれます。
道端にゴミが散乱しています。
市場は不衛生極まりありません。
一部では犬の肉を食べる習慣さえあります。
チップと言えば聞こえはいいのですが、賄賂がまかり通る社会です。
偽ブランド100%の商品が堂々と並んでいます。
お店で物を買えば、挨拶もしない不愛想な態度をされることもあります。
これは、日本の習慣を引きずってカンボジアに来た場合に感じることとして挙げてみました。
しかし、私は確信を持って言えます。
それは、「カンボジアという国は、あなたの心の通りに映ります。」ということです。
あなたの心が映し出される世界
こんな中国の昔話があります。
ある山の麓に老人が住んでいました。
隣の町から流れてきた一人の青年が老人に尋ねました。
「ここにはどんな人たちが住んでいますか?」
老人は聞き返します。
「君はどんな街に住んでいたのかね。」
青年は答えます。
「私が住んでいた街は、悪い人がたくさんいるひどいところでした。」
すると老人は、こう答えるのです。
「ここも似たようなものじゃ。」
青年はいぶかしげに老人を見ながら、街に入っていきました。
そして、ほどなく老人が言ったとおりの街であることを悟りました。
しばらくして、別の青年がやって来て、老人に尋ねました。
「ここにはどんな人たちが住んでいますか?」
老人は同じことを尋ねます。
「君はどんな街に住んでいたのかね。」
青年は答えます。
「私がいた街は、やさしくて親切な人が多かったです。とても素晴らしい人々ばかりでした。」
老人の答えは同じでした。
「この街も似たようなものじゃよ。」
青年は老人に丁寧にお辞儀をして、街に入っていきました。
そして間もなく、この老人が言ったとおりの街であることを悟りました。
この話から、私の言わんとすることがお分かりいただけるものと思います。
情けは人のためならず
時々勘違いをして、
「人に情けをかけることは、結局その人のためにならないことだからしないほうがいい。」
と思っている人がいますが、
「情けは人のためになるだけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にしなければいけない。」
という意味のことわざです。
こちらに来たあるご支援者が、カンボジア支援に行く前に、知人にこんなことを言われたと言っていました。
これは、情けは人の為ならずの誤ったほうの解釈に類する言動ですね。
「自分のことは自分でやる。」
確かに、正論かもしれません。
社会の仕組みがきちんと整備され、ルール徹底されている日本では、今、人に対する寛容さが失われつつあります。
人に厳しく当たる前に、意識を世界に向けていただきたいと思います。
世界には貧しい国がたくさんあることはだれでも承知しています。
しかし、カンボジアは、世界でも類のない特殊な歴史を持っています。
教育を放棄してしまった国
貨幣や社会の仕組みをすべてリセットした国
それがカンボジアなんです。
自分の力で立ち上がることが未だにままならない国があることを、ぜひ知っていただければと思います。
戦後、世界からの支援を受けた日本
昭和20年代、終戦直後の日本もそうでした。
街は焼け野原になり、親を亡くした子供が路上で生活し、人々は職を失い、生きるためにはどんなこともやりました。
闇市という言葉は、現代の若者は聞いたことがないと思います。
物資が著しく不足していたため、政府が物価を統制するために商品取引を規制をするのですが、その規制を外れて、非合法で行われる取引のことです。
売り手市場ですから、どんなに高値であっても、買い手がつくわけです。
当時の日本は、著しくものが不足していたのです。
WAF・UNISEFなどをはじめ、多くの世界の支援団体から、日本の子供たちに生活物資や食糧の支援が行われました。
私も、学校給食で、それらをいただいて大きくなりました。
確かにもらったものは、物資や食料です。
食料は食べれば終わりです。
でも、不思議なものです。
私には未だに残っているものがあるのです。
それは、支援してくれた彼らのマインドなんです。
心こそ永遠
今、私を動かしている原動力は、そのマインドなのかもしれません。
皆さんが支援してくれた図書にも、このような力があるものと信じています。ブロトピ:ブログ更新しました♪